北海道旅行 三日目(江差へ)2022年07月21日 05:38

さて、時間が押してきたので松前城のみを見学し、次の目的地江差へ向かいました。
日本海沿いに一本道、約65㎞、1時間余りのドライブです。
時々小雨の降るどんより曇った空の下、江差に向かって日本海沿いをひた走って行くと前方に青空がのぞいてきました♪
そこに何やら立派な建物が…道の駅「道の駅上ノ国もんじゅ」です。
ここで先ずは一休み♪
ここは上ノ国町…なにやらこの辺りだけがお天気がよさそう…
神?の国に通じるような穏やかな光景です…
先ず…「上ノ国町」…正直言って初めて聞く町名です。
上ノ国=神の国の響きがあり、何らかの神様に関わる歴史がありそうですが…

調べてみると、この地域は北海道の中でも歴史的にかなり古いところだそうで、その歴史に見合うだけの様々な伝説があるようです。
この地域は縄文時代から人が定着していたそうで、北海道で最も早い時期に和人が定住した地でもあるそうです。
1189年、源頼朝が奥州の藤原氏を攻めた際に、糠部(現在の青森県東部から岩手県北部)や津軽の人々が上ノ国付近まで逃れて来たということですが、この動きを裏付けるようにここから以北に多くある義経や弁慶の伝説と繋がりがありそうです。
ちなみに、和人が本格的に蝦夷地の支配に乗り出したのは15世紀初頭頃だそうで、渡島半島各地に砦を築いていったようで、この時期に函館の周辺が「下之国」、上ノ国や江差の周辺は「上之国」と称されたとのこと。
これが「上ノ国」という町名の由来のようですね。
この頃の上ノ国は松前や箱館とともに蝦夷地を代表する港であり、ここに築かれた館は「上之国」地域の中心拠点として機能したとのことです。

もう一つの疑問…一休みしたのは「道の駅上ノ国もんじゅ」…「もんじゅ」って連想したのがあの“高速増殖原型炉もんじゅ”なのですが…はて?何の繋がりなのでしょうか?ということでした…
実はこれ、後で調べて分かったのですが、“高速増殖原型炉もんじゅ”とは全く関係がなく、近くの海岸に文殊菩薩をイメージする「文殊岩」といのがあるので付けられた名前でした!
ここでも神との繋がり感じてしまいました(^.^)

さて、上ノ国の道の駅を出て、穏やかな海岸沿いを10㎞ほど走ると江差です。
この江差、辺りを一見して素人目でも「ここは栄えるべきして栄えたところだろうなぁ」と思いました♪

次のGooge mapをご覧ください。
地図で見ると分かりやすいのですが、直角三角形の直角部分が海に突き出しており、その角のすぐ前に島があますね。
その島と角を結ぶように埋め立てて結び、両側を港としています。
素人ながら、これってとても良い港なんでしょう?!(^.^)

しかも沖合には対馬暖流が流れ比較的温暖でかつ良い漁場がある…
いや~ここに人が住み、漁業が盛んになるのは必然的ではないでしょうか(^_-)
街が栄えるわけです!
正にそれが現実となり、街が大いに栄え…そして江差追分♪♪♪

♪カモメのなく音に ふと目を覚まし あれが蝦夷地の山かいな♪

江差訪問の目的の一つが、かつての江差の繁栄の基を見てみたいと思っていたので、この光景を見て納得です。

しかし、現在は基盤の漁業の衰退とともに街もかなり衰退しているようです…

さて、江差の目的のもう一つが「開陽丸」です。
江戸末期から明治維新初期に榎本武揚率いる旧幕府海軍で活躍した西洋軍艦の「開陽丸」です。

江戸幕府がオランダで造った当時の最新式軍艦ですが、明治元年(1868年)11月15日、戊辰戦争の最中、江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没しました。
その遺物が発掘され、ここ江差の港に往年の姿を復元した海の駅「開陽丸記念館」が造られ展示されているのです。
これが復元され岸壁に係留されている「開陽丸記念館」です。
以下、江差沖に沈んだ開陽丸の運命です・・・

「慶応4年(1868年)4月11日の江戸城無血開城後、開陽丸を新政府軍に譲渡する事を断固として拒否し続けた榎本武揚…同年8月19日、開陽丸を旗艦とした榎本艦隊は、遊撃隊など陸軍兵を乗せた運送船4隻を加えて品川沖を脱走し、蝦夷向かった。
旧幕府軍は函館五稜郭、松前城を奪取した後、江差へ進軍を開始。その援護のために開陽丸も11月11日に箱館を出港して江差沖へ…11月14日に江差沖に到着、陸地に艦砲射撃を加えるも反撃がないので、斥候を出すと、松前兵は既に撤退していた。榎本は最低限の乗組員を開陽丸に残して上陸し、江差を無血占領した。
ところが翌15日夜、天候が急変する。開陽丸は、タバ風と呼ばれる土地特有の風浪に押されて座礁。数日後、榎本や土方が見守る中、開陽丸は完全に沈没し、海に姿を消した。
開陽丸を失い海軍力が大幅に低下した旧幕府軍は・・・」


いや~約150年前のこの地で起きた出来事…日本が大きく変わる時代の一つのモニュメントですね…

さて、江差は江差追分でも歌いあげられているようにニシン漁で栄えた街です。
その往年の繁栄の跡が街中にもみられるということで観光案内板を参考に少し歩いてみました。
この案内板を見ると…港沿いに走る国道228号線の一本内側に「いにしえ街道」という通りがあります。
その名からしてかつての江差の繁栄ぶりが分かる建物が並んでいるのではないでしょうか…楽しみです♪

通りは今風に広く整備され、ご覧のような歴史観ある建物がずらっと並んでいます…
が、正直…整備されすぎ感が強く感じてしまいました。
衰退した漁業に代わるものとして観光を大々的に打ち上げている行政とのことですが、もう少し過去の遺産の魅力を活かす工夫が必要ではないでしょうか…
人口減少が続く過疎地域になっているとのことですが、若者が定着する活気ある街になってほしいものですね。

さて、今回はちょっと長くなってしまいました(^^ゞ
それでは今宵の宿、せたな町へ向かいましょう…

つづく。