ご近所のお地蔵さん 考2022年11月30日 05:38

我が家の直ぐ近くの道端に珍しい小さな子を抱いた子安地蔵の祠があります。
ご近所の皆さんの協力のもと、毎年8月20日前後に“地蔵祭り”(地域によっては“地蔵盆”とも)を行っていますが、ここ数年コロナ禍で中止が続いています。
今年は開催かと思っていましたが、おりしも押し寄せたコロナ第7波のあおりで開催を断念しました。
かつては子供たちがメインの行事でしたが、現在は近在のお年寄りの方々中心でのお参りが多いので、念には念を入れての断念でした。

このような“地蔵祭り”は近畿地方発祥の伝承行事と言われているようですが、ここ北陸でもよく行われています。
私の地区ではかつては近在のお年寄りが世話役していたものが、世代交代とともに近所の方々による世話役の当番制となって引き継がれてきています。
8月の終わりに色鮮やかな旗や幕で飾り付けられた“地蔵祭り”の光景を田舎の良き風物詩として見続けてきましたが、寂しいことに時代とともにこの“地蔵祭り”の継続に異論や疑問を感じる若い世代が増えてきているのが実態のようです・・・少子高齢化で子供の姿もめっきり見かけなくなりましたし・・・

これまでは世話役当番が我が家に巡って来ても、親や妻が近所の方々と段取りしてくれ、私は家にいる時のみ手伝う程度の半ば傍観者でした…
ところが、今年、仕事を準リタイヤしたことにより十数年ぶりに回ってきた世話役当番の当事者となってしまい、あたふたとその段取りをしていました(^^;
結果的にはコロナ禍での開催断念となったのですが、先にも書いたように“地蔵祭り”継続問題が水面下で渦巻いていることを知り、その渦中に足を突っ込まざるをえなくなったのです…
間違いなくコロナ禍によるここ数年の開催中止が、この継続問題を顕在化させたものです。
私個人としては無味乾燥な近所付き合いになりつつある現在、昔から伝承されている数少ないこのような行事を通して近所の絆を深めていくことに意味があると思っているのですが・・・

一方で、そもそも毎日目にしているこの子安地蔵の謂れそのものをよく知らないことにことに改めて気づかされました(^^;ゞ
で…お地蔵様の謂れやこれまでお世話されてきた経緯を知らずに継続問題は語れないと思い始めたのです…
自分の親に聞こうと思っても既にいないし…
そこで、この手の話は世話をやってこられた長老と言われる方々に聞くのが一番と思い、話を伺ってみました。

結果的には大正・昭和初め生まれの80~90歳代の方々でもこの子安地蔵の明確な謂れが分からないことが分かりました。
しかし、その長老方の話をまとめると…概略は以下のようです。

<子安地蔵の謂れ>
  かつて、雑木林の中の細い道で小さな子を抱いた若い女性が行き倒れになって亡くなっていた。
  不憫に思った近くの集落の方々が弔い、その行き倒れた地に子安地蔵を安置した。
  近年、行き倒れになった母子の身許を調べた人がいたが不明だったとのこと。
<安置された年代>
  明治時代かそれ以前? 不明
  話を伺った80~90歳代の方々の子供時代には既にお地蔵さんは存在し、地蔵祭りがおこなわれていた。
  このことから、少なくとも明治時代かそれ以前ということは確実…
<安置場所周辺の変化>
  大正末期頃まで、子安地蔵が安置されている場所は荒れた丘陵地帯の雑木林で、周辺集落を結ぶ細い道があった寂しいところ。
  昭和初期、近くの庄川の電源開発事業と相まって、丘陵地の開墾が大規模に行われた。
  その開墾に合わせて子安地蔵が安置されている道も少し拡張され、子安地蔵そのものは道に面した開墾水田の畔に取り込まれた。
  戦後、各集落(村)が合併して町になったが、子安地蔵沿いの道も町道として更に拡張されて、その子安地蔵は道端の位置となった。
  その後、街の拡張とともにその周辺が宅地化され、今の住宅街が形成された。
  この時期(昭和20年代半ば)、この道沿いに我が家はじめ数軒が建ったと思われます。

今では子安地蔵周辺の住宅街も世代交代が進み、一部は既に空き家化しつつあります。
旧来の集落も含めて約40軒ほどでこの子安地蔵の維持管理・地蔵祭りなどの伝承事業を続けていましたが、今後どうなるか・・・せめて私の世代がいる限りは続けたいと思っているのですが・・・