桜シーズンおわり ― 2023年04月07日 11:39
孫と遊ぶ♪ ― 2023年04月04日 07:06
春の嵐(砺波平野南部の局地風)・・・ ― 2023年03月13日 10:04
昨晩、久々に強い風が吹きました・・・春の嵐です。
今年は既に2月28日に北陸で春一番が吹いたとの富山気象台から発表がありました。
その時は富山市で最大風速13.7mだったとか・・・
が、その時はこちらではたいした風では無かったと記憶しています。
私の住むところはは飛騨山地から庄川が砺波平野に流れ出す扇頂にあたるため、谷や山々から吹き下ろす嵐が強いことで有名な地域です。
“庄川嵐”とか“井波風”とか言われる局地風で、来襲頻度の少ない台風より大変恐れられています。
この地域には「不吹堂(ふかんどう)」という風神を諫めるお堂があちこちにあり、歴史的にもこの地域で恐れられている局地風であることを如実に現しているのです。
大風は時期的には春と秋の季節性がありますが、最大風速は40mを超えることもあり、背の高いバン・トラック横転事故が時々ニュースになっています(^_^;
特に庄川の山間地から流れ出す極々局所的には季節性にかかわらず日常的にも晴れの朝には谷から吹き出す風が強いことも特徴なのです。
砺波平野に吹き出すと、ほんの1Km程先では風が弱まっていまいますが・・・(^_^;
この大風が、砺波平野に広がる散居村の景観である南側の屋敷林(防風林)形成の理由に繋がっています。
さて、昨晩はこの春の“庄川嵐”が今年初めて吹きました!
風速データはありませんが、風音、山鳴り、家の揺れからすると最大風速は20m以上はあったのではないでしょうか(^_^;
で、で、で!心配だったのはリノベーション工事中の家なのです!
早速朝一番に確認したところ、工事現場そのものは特に問題ありませんでしたが・・・
解体物、特にトタン・ブリキの外装材が風であちこちに飛散していたのです!
工事現場周辺もチェックしたところ、かなりの範囲で飛散しており、お隣やさらに風下にも飛んで行っていました(^_^;
廻りは空き地や田んぼが広がっているので幸いにも被害は与えていなかったので安心しましたが、もっと風が強かったと思うとゾッとします・・・
工事監督者には風の話をしてあったのですが、地域の人ではないので管理が甘かったと言わざるを得ません。
また大風が吹く可能性もあるので、再度強く言っておこうと思っています。
春の味&香り♪ ― 2023年03月12日 10:26
厄年注意! ― 2023年01月09日 13:46
昨夜、布団に入ってうとうとしていると・・・姪っ子から携帯に電話が入った・・・ん?と出てみると・・・
「おじちゃん!お父さんが血だらけで帰ってきた!助けて!」という尋常じゃ無い電話!!
弟の家に急いで駆けつけると・・・頭から血を流して顔が血まみれ!
弟の意識も朦朧としている・・・
状態が状態だけに直ぐに119に連絡し、救急車を呼んで近くの病院へ・・・
救急処置をしてもらい、頭部CT検査の結果外傷だけでなんとか一安心。
処置を終え家に戻ったのが夜中の1時過ぎ・・・念のため自分も弟のところに泊まり、今朝再度病院に連れて行って傷口の処置をしてもらって帰ってきた・・・
昨夜、町内の新年会で酒を飲み、それほど酔ってはいなかったらしいが、家に帰る途中の階段で滑ってこけ落ちたらしい。
コンクリートの3m程高さがある階段のほぼ上から下まで・・・(^_^;
打ち所が悪いとどうなっていたか・・・
弟は今年還暦。
つい一昨日地元の神社で厄払いのお参りに行ったばかり・・・
この地元神社の厄払い神事は江戸時代から続く奇祭で有名で、全国ニュースにもなるのだが、最近はメディアが多く集まってきて観光化している。
(神社での神事の後、鯉に御神酒を飲ませ(厄をコイに託す)、庄川に放流する神事)
自分の時もそうだったが、かつての神聖さが薄らいでいるなとは思っていた。
その弟が神事を終えて我が家に来た時にその観光化にブツブツ文句を言っていた・・・(^_^;
いやいや厄払いだからあまり文句を言うと御利益がなくなるぞ、と注意はしていたが、まさかの厄が降りかかってしまった!
幸いにも、数針縫う程度で済んだが、後で現場を見てきたところ、一歩間違ったら・・・とゾッとしてしまった・・・
厄年!注意!注意!

そう言えば、先日来た下の娘の旦那が「お父さん!厄年無事終わりました♪」と言っていたが、いやいや後厄だから今年1年も注意するように!と言っていたところである。
Wikipediaによると・・・
「厄年(やくどし)は、日本などで厄災が多く降りかかるとされる年齢である。科学的な根拠は不確かで、陰陽道由来とされるものの出典は曖昧である。平安時代の書物には見られ、旧来から根強く信じられている風習である。」
とあるが、「厄年のような考え方は、イギリスやスペインなどキリスト教国、エジプトやトルコなどイスラム教国もそれぞれ類似する風習がみられる。」とのことなので、気を引き締めていきたいところである。
雪遊び♪ ― 2023年01月08日 13:25
ご遠慮のお正月でしたが、3日から下の娘一家が7日まで遊びに来て久々の賑やかな日々を送りました。
今年は雪もほとんど降らず、過ごしやすい年を迎えたのですが、孫達は雪が無くて少々残念がっていました(^_^;
そこで、ソリとかつて子供達が着ていたスキー服を持って近くの山の中へ・・・
標高300mにあるかつては小さなスキー場があった閑乗寺公園に行ってみたところ、銀世界です♪
孫達は大喜び♪
さっそく着替えて・・・雪だるまづくり・・・そしてソリ遊び♪♪♪
息が切れることはパパママに任せ、下からのんびり眺めていました(^_^)
楽しく過ごして・・・孫達は夜ぐっすり眠りにつきました(^_-)
昨夕帰って行きましたが、家の中はいつもの静けさに・・・
昨年と同じ初雪日 ― 2022年12月18日 09:25
ご近所のお地蔵さん 考 ― 2022年11月30日 05:38
我が家の直ぐ近くの道端に珍しい小さな子を抱いた子安地蔵の祠があります。

ご近所の皆さんの協力のもと、毎年8月20日前後に“地蔵祭り”(地域によっては“地蔵盆”とも)を行っていますが、ここ数年コロナ禍で中止が続いています。
今年は開催かと思っていましたが、おりしも押し寄せたコロナ第7波のあおりで開催を断念しました。
かつては子供たちがメインの行事でしたが、現在は近在のお年寄りの方々中心でのお参りが多いので、念には念を入れての断念でした。
このような“地蔵祭り”は近畿地方発祥の伝承行事と言われているようですが、ここ北陸でもよく行われています。

私の地区ではかつては近在のお年寄りが世話役していたものが、世代交代とともに近所の方々による世話役の当番制となって引き継がれてきています。
8月の終わりに色鮮やかな旗や幕で飾り付けられた“地蔵祭り”の光景を田舎の良き風物詩として見続けてきましたが、寂しいことに時代とともにこの“地蔵祭り”の継続に異論や疑問を感じる若い世代が増えてきているのが実態のようです・・・少子高齢化で子供の姿もめっきり見かけなくなりましたし・・・
これまでは世話役当番が我が家に巡って来ても、親や妻が近所の方々と段取りしてくれ、私は家にいる時のみ手伝う程度の半ば傍観者でした…
ところが、今年、仕事を準リタイヤしたことにより十数年ぶりに回ってきた世話役当番の当事者となってしまい、あたふたとその段取りをしていました(^^;
結果的にはコロナ禍での開催断念となったのですが、先にも書いたように“地蔵祭り”継続問題が水面下で渦巻いていることを知り、その渦中に足を突っ込まざるをえなくなったのです…
間違いなくコロナ禍によるここ数年の開催中止が、この継続問題を顕在化させたものです。
私個人としては無味乾燥な近所付き合いになりつつある現在、昔から伝承されている数少ないこのような行事を通して近所の絆を深めていくことに意味があると思っているのですが・・・
一方で、そもそも毎日目にしているこの子安地蔵の謂れそのものをよく知らないことにことに改めて気づかされました(^^;ゞ
で…お地蔵様の謂れやこれまでお世話されてきた経緯を知らずに継続問題は語れないと思い始めたのです…
自分の親に聞こうと思っても既にいないし…
そこで、この手の話は世話をやってこられた長老と言われる方々に聞くのが一番と思い、話を伺ってみました。
結果的には大正・昭和初め生まれの80~90歳代の方々でもこの子安地蔵の明確な謂れが分からないことが分かりました。
しかし、その長老方の話をまとめると…概略は以下のようです。
<子安地蔵の謂れ>
かつて、雑木林の中の細い道で小さな子を抱いた若い女性が行き倒れになって亡くなっていた。
不憫に思った近くの集落の方々が弔い、その行き倒れた地に子安地蔵を安置した。
近年、行き倒れになった母子の身許を調べた人がいたが不明だったとのこと。
<安置された年代>
明治時代かそれ以前? 不明
話を伺った80~90歳代の方々の子供時代には既にお地蔵さんは存在し、地蔵祭りがおこなわれていた。
このことから、少なくとも明治時代かそれ以前ということは確実…
<安置場所周辺の変化>
大正末期頃まで、子安地蔵が安置されている場所は荒れた丘陵地帯の雑木林で、周辺集落を結ぶ細い道があった寂しいところ。
昭和初期、近くの庄川の電源開発事業と相まって、丘陵地の開墾が大規模に行われた。
その開墾に合わせて子安地蔵が安置されている道も少し拡張され、子安地蔵そのものは道に面した開墾水田の畔に取り込まれた。
戦後、各集落(村)が合併して町になったが、子安地蔵沿いの道も町道として更に拡張されて、その子安地蔵は道端の位置となった。
その後、街の拡張とともにその周辺が宅地化され、今の住宅街が形成された。
この時期(昭和20年代半ば)、この道沿いに我が家はじめ数軒が建ったと思われます。
今では子安地蔵周辺の住宅街も世代交代が進み、一部は既に空き家化しつつあります。
旧来の集落も含めて約40軒ほどでこの子安地蔵の維持管理・地蔵祭りなどの伝承事業を続けていましたが、今後どうなるか・・・せめて私の世代がいる限りは続けたいと思っているのですが・・・




















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