国重要文化財 多宝塔@岡崎・大樹寺2023年09月25日 09:24

大樹寺の敷地の角に趣のある多宝塔があります。
幹線道路からお寺に向かうと真っ先に見える建物です。



残念ながら大火による焼失もあり、大樹寺には創建当時の建物はないそうですが、この多宝塔が最古の建物だそうです。
天文4年(1535)、松平家七代清康(家康の祖父)の建立になるものだそうで、室町末期の様式の美しい姿を残しています。
明治三十七年に指定された国重要文化財です。

もう一度…総門から見る岡崎城@岡崎・大樹寺2023年09月26日 08:44

大樹寺に別れを告げ岡崎市内に向かう時、もう一度総門から岡崎城へのビスタラインを見てみました…

くっきりスッキリ岡崎城が見えますね♪
この総門は寛永18年(1641)徳川三代将軍家光によって造り直されたそうで、直近昭和52年に修復されています。 永禄3年(1560)、松平元康(徳川家康)が桶狭間の戦いから大樹寺に逃げ込んだ時、追撃の織田軍に包囲された際に祖洞和尚が総門のかんぬきを振り回して戦ったという話は有名です。 このシーンもNHK大河ドラマ「どうする家康」で出ていましたね。 ちなみに、祖洞和尚が振り回した総門のかんぬきは今も残っているそうです。

ところで、三門から総門の間…子供たちが走っているのが見えますね… 実はここ岡崎市立大樹寺小学校のグラウンドなんです(^.^)

岡崎と言えば…2023年09月27日 07:49

さて、次の目的地は岡崎城です…が、お腹が減ってきました(^^ゞ そこで、何を食べる?と連れと相談した結果… 「岡崎と言えば八丁味噌!八丁味噌と言えば…味噌煮込みうどん!味噌カツ!…」(^.^) 「ついでに八丁味噌も買って帰りたい♪」 と、本場の老舗“カクキュー八丁味噌”に行きました。

ここのレストランで…連れは…これ!味噌煮込みうどんです♪


ところで、名古屋の名物味噌カツですが、ここ岡崎は八丁味噌の本場です! 揚げたてのカツに八丁味噌ベースのタレが…♪ σ(^_^)はこれをチョイスしました(^_-)

豚肉と味噌の風味が合わさってめちゃ美味しいですね(^.^) 八丁味噌の味噌汁もGood!です♪

美味しく食べ終えて…お土産の八丁味噌もGetです♪ ちょうどカクキューの工場見学時間になったのですが、まだ岡崎城も見たいけれど残り時間が足りず、工場見学は断念(^^; 早々に岡崎城へ移動です… さてその前に…カクキューのHPから八丁味噌の由来をupしておきたいと思います… ーーーーーー 八丁味噌のはじまり  当社カクキューの創業は江戸時代初期ですが、その歴史は戦国時代まで遡ります。  今川義元の家臣であった早川家の先祖・早川新六郎勝久(はやかわしんろくろうかつひさ)は、永禄3(1560)年の桶狭間の戦いで今川が敗れた後、岡崎の寺へと逃れて武士をやめ、名を久右衛門(きゅうえもん)と改めました。  久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、徳川家康公生誕の岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある八丁村(現在の愛知県岡崎市八丁町)へと移り、正保2(1645)年に業として味噌造りを始めました。そして久右衛門の造る味噌は地名に由来して、いつしか「八丁味噌」と呼ばれるようになりました。 ーーーーー 桶狭間の戦いまで遡るのですね…

では、引き続き岡崎城へ…

岡崎城へ・・・2023年09月28日 08:12

東に八丁(約870m)…ほんの少し離れて国道1号線沿いに岡崎城がありました。 とはいっても大手門近くの駐車場が何故か進入禁止になっていたので、ぐるっと回って東の端、菅生曲輪(多目的広場)の横にある駐車場まで行かなければなりませんでした。
駐車場からほどなく歩いたところに公園の案内版があったので紹介します…
車はこの案内板の左端にあり、案内板の位置が中央左の▼印のところです。


この案内板を見ると、かつての岡崎城の城域は今の公園規模の2,3倍はあったようです。 現在は1,2重のお濠しか残っていませんが、かつては菅生川から水を牽いて4,5重のお濠が貼り巡ぐらされていたようです(あ案内板の濃いグレーがかつてのお濠のようです)。 なんでも、発掘によって日本で有数の規模の大きさだったと分かってきたようです。 さすが家康生誕の地、大事にされていたことが分かりますね。
さて、案内板から右側(西側)に進むと…ここが隠居曲輪というところです。

いや~想像以上に岡崎城は立派な構えですね。 ここから右側へ本丸に向かって登っていきます…
ちょっと勝手口から入っていく感じかなぁ(^^ゞ

本来の正面入り口、大手門は案内板の中央下にあります。

空堀越しに見る岡崎城天守2023年09月29日 07:29

隠居曲輪から坂を登っていくと、深い空堀越しに木々の間から天守閣が見えてきました♪
美しい天守閣です。


その北側に深く切り落ちた濠は空堀で、創築者西郷頼嗣(清海入道)の名から清海堀と呼ばれており、本丸北面防衛のために設けられたそうです。

ここ岡崎城は東海地方では指折りの大規模な城だったそうです。
が、明治になり新しい時代に不用とされた城郭は1873年(明治6年)の廃城令によって大部分は明治6年から7年にかけて取り壊されてしまったそうです。
その後は堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりだったそうですが、岡崎の象徴である天守閣がないままではしのびないとする市民の思いで、昭和34年(1959)にほぼ昔どおりの外観の天守閣が復元されたそうです。

岡崎城本丸 龍城神社2023年09月30日 05:07

隠居曲輪から清海掘縁に登り本丸に入ってきました。
本丸には天守閣の隣に龍城(たつき)神社が鎮座しています。


何故天守閣の隣にこのような立派な神社があるのか…
それは岡崎城の築城の経緯とこの城で生まれた家康、それとあの本多忠勝に関係があるようです。

龍城神社の社伝によると、1452年(宝徳4年)または1455年(康正元年)に三河国守護代・西郷稠頼が  菅生川に突き出た竜頭山という小高い丘に築城した際に龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて天に去っていたという言い伝えから天守に龍神を祀ったことが始まりとされています。
1524年(大永4年)家康の祖父にあたる松平清康が安城から本拠をこの岡崎城に移し、1543年(天文12年)ここで家康が生まれました。
その家康誕生の際にも金色の龍が現れたという言い伝えがあるそうです…
家康没後、徳川家康を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀ったのですが、1876年(明治9年)東照宮を今の位置に遷座し、幕末の岡崎城最後の城主であった本多氏の祖、忠勝が祀られていた映世神社と合祀して今の龍城神社に改称されたそうです。