葵の紋幕かかる本堂@岡崎・大樹寺2023年09月20日 08:34

今回も引き続きPHOTOHITOと連携です。

松平家の菩提寺で歴代将軍の位牌が安置されている大樹寺、本堂正面には葵の紋幕がその存在感を誇示しています。


平日にもかかわらず観光バスが結構頻繁に訪れ、そのたびに多くの観光客がドドドッと押し寄せています…
少し時間を調整し、空き間を狙って後で本堂に行きましょう…
その前に…ここに来た一番見たいところ…そう、桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、今川方にいた松平元康(徳川家康)が大高城から故郷の岡崎に逃れてきて先ず籠ったところが、ここ大樹寺…そして…
の…場所が左に入ったところにあります…先ずはそこへ…
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この本堂、一目見た時に少し気になるところがありました。
屋根が低くありませんか?
松平家の菩提寺であり歴代将軍の位牌が安置されているお寺にしては、もう少し壮大さがあっても…と、正直思いました。

ところが、そう感じた訳が大樹寺のHPに書いてあったのです…

「松平家と徳川幕府の庇護のもと隆盛を誇っていた大樹寺も、安政2年(1855)幕末の騒然たる時代に、出火により本堂、庫裏、書院など主要建物が全焼しました。
万事が倹約のおり、寺領内の木を使用することで規模の維持を幕府に申し出ましたが、結局約2~3割減の規模で再建されたようです。
写真のようになんとなく、本堂の屋根が覆いかぶさるように低く感じられますが、これも倹約の結果とされています。」

第三代将軍家光が寛永13年(1636年)本堂以下の堂舎の新築を命じ、寛永18年(1641年)に58棟すべてが完成した大伽藍だった大樹寺、勝手の七輪の下から出火し、本堂も含めて多くの伽藍が焼失してしまったそうです。
時は安政2年(1855)…江戸末期…当然幕府の財政が火の車状態です…しかし、再建しなければ…ということで規模縮小というわけなんですね(^^;