ご近所のお地蔵さん 考 その2 ― 2023年08月31日 09:53
先日、我が家の近所にあるお地蔵さんの地蔵祭りについて書きましたが・・・ その後大きな騒動が起きています(^_^;
先に、「ご近所のお地蔵さん 考」でも既にお話ししていましたが、危惧していた世代交代・過疎化・少子高齢化・空き家増大の時代の流れに逆らえず、地蔵祭りの継続に黄信号いや赤信号が灯ったのです。
今年の地蔵祭りは何とか執り行えたのですが・・・今年の当番さんが来年予定の方に当番を送ろうとしたところことごとく拒否されたと私に泣きついてきました…(^_^;
そもそも今年の当番さんの送り方にも問題があったので、成り行き上私が当番引継ぎ交渉を引き受けました。
ところが…その当番引継ぎ交渉の壁が思ったほか高かったのです!
そもそも、コロナ禍で各種地域活動が停滞していた時期が続き、その復活に関係者が苦心しているという話は聞いていました。
地域の絆が弱まっており、ましてや地蔵祭りという“”前時代的”な行事の世話など、若い世代の方々には全くと言っていいほど興味がありません。
何軒も意見を聞いて回った結果…
・地蔵祭りはそもそも小さな子供やご老人方が行う行事であり、その主体である子供や老人がいなくなった今やる意義はあるのか?
・そもそもいわれも知らない路傍の地蔵さんにお金と労力を費やす必要があるのか?
・時代、世代も変わったからこのような地蔵祭りはしなくてもよいのでは?
中には…
・全く興味が無い!
とまで言われる始末です(^^;
正直、皆さんがここまで思っていられるとは…宗教心や伝統文化への意識の低下がここまで進んでいるとは思いもしませんでした…
言われてみれば…4年ぶりに開催した地蔵祭りにお集まりの方々の顔振り…常連のお年寄りがめっきり少なくなり、子供は全くいません…
集まった人数も激減です(^^;
この状況では地蔵祭りを継続するのは難しいと今回痛切に思い知らされました。
そこで、ご近所の長老や何人かの意識高い系の方々と相談することにしました。
意見は意外なことにほぼ同じでした!
「時代は変わった…地蔵祭りはやめよう!」と・・・
ただし、お地蔵さんをそのままに、祭りだけをやめるというのでいいのか?ということです。
そもそも、今回対象のお地蔵さんは文化財でもなく、小さな供養地蔵です…
そこで、私が提案した案は…
『地蔵さんの閉眼供養を行い、土に帰ってもらう』
ということです。
中途半端ではなく、スッキリ始末しておこうということです。
この提案にご近所の長老や何人かの意識高い系の方々が賛同していただきました。
しかし、一部の関係者だけでは動けないということで、関係者全戸に集会してもらう機会を設け、提案して賛同を得ることになりました。
少ないながらも地蔵祭りの資産や備品も残っており、また供養・仕舞の費用等々もあることから、関係者の賛同は必須ですからね。
流れ的に…その段取りを私が進めることとなりました…
しばらく、本件は続きそうです…
地蔵祭と熱中症 ― 2023年08月21日 10:00
昨日、自宅近くにあるお地蔵さんの地蔵祭りが4年ぶりに開催されました。
俗に言う「地蔵盆」ですが、道祖神信仰と結びついた「路傍や街角のお地蔵さん」いわゆる「辻地蔵」の行事です。
近畿地方を中心とする地域で盛んに行われているようですが、私の地域でもこの時期になるとあちこちで見かけます。
私の町内にはこういった辻地蔵が3カ所あり、それぞれ新盆明けの8月24日を中心に各班毎に行われます。
私の班では昨日20日に行いました。
その昔は大きな家のおばあちゃん達が世話役で、近所の子供達が準備を手伝っていたのですが、時代も移り変わり古くからの世話役の方々も亡くなって今では担当者が複数班内で持ち回りとなっています。
また、過疎化の波も押し寄せてめっきり子供の数も減ったこともあり、今では担当者を中心に近所の有志で準備を進めています。
昨日も8時半から飾り付けし、お坊さんがこられてお参りを始めたのは10時からです。
が、ご覧のようにこの日も晴天でこの時間は既に30℃をゆうに上回っています・・・(^_^;
準備に汗を流し・・・その後の炎天下でのお参り・・・
お坊さんも「お経を短くしましょうか?」と(^_^;
“5分ほどの短さで・・・”と言われたように聞こえたのですが・・・
15分過ぎでもナムナムは続きます・・・(^_^;
(なんでも、“5分ほど短くしましょうか?”と言うことだったそうです(^^;ゞ)
お坊さんに影を作るために傘を差しているご婦人方も大変で、この後私が交代しましたが・・・いやはや暑い!!
お参りしている人々は高齢者が多く、昨今の酷暑は厳しいです!
お経は20分ほど・・・この後法話です・・・
今回の法話は「お盆の云われ」についてです。
目連尊者(もくれんそんじゃ)の親を思う孝順心が根底に流れる物語ですが・・・
興味のある方はこちらをクリックすると物語の内容が出てきますので・・・どうぞ・・・
さて、興味ふかく話に聞き入っていた時・・・「天国」と「地獄」の話の最中・・・目の前が白くなってめまいが・・・
ヤバい!遠くに見えるのは「天国」?か「地獄」か?!・・・
法話の最中でしたが・・・なんとか家に戻り、水を飲んで横になりました・・・
熱中症で結構しんどかったです!
あぁぁぁ・・・私は何処に迷い込もうとしたのでしょうか・・・「天国」?「地獄」?(^_^;
いや〜廻りの高齢者を気にかけていたのに、まかさ自分が熱中症になるとは!
まだまだ猛暑が続く予報が出ています。
皆さん、くれぐれも熱中症にかからないようご自愛下さい・・・
ちなみに、私はエアコンの効いた部屋で1時間ほど横になったら元に戻りました。
夜のビールも美味しかったです♪
ところで、私の近所のお地蔵さんについては、以前にコメント書いていますので、興味のある方はこちらを見てみて下さい。
庄川観光祭 ― 2023年06月05日 09:26
6月3日4日と地元恒例の庄川観光祭が開催されました。
今年は天候にも恵まれ、コロナ明けの久々のフル開催です♪
3日は庄川峡花火大会、3日4日と夜高行燈街練りが行われ、日中にも様々な行事が行われました。
庄川峡花火大会は富山県内で最も早く開催される花火大会で、庄川合口ダム下流に大勢の観客が訪れていました。
当日、名古屋から娘一家が来ていて、3人の孫を引き連れて花火を見、その後街中に夜高行燈を見に行ってきましたが、人混みの中での小さな孫の世話で全く写真を撮る暇もありませんでした(^_^;
昨晩は孫達も帰り、妻とゆっくり夜高行燈見物です。
久々に行燈の合わせ(ぶつかり合い)を見て爽快な気分で夜遅く帰宅しました(^_^)
16町内、大・中・小、総勢24基の色鮮やかな夜高行灯はめちゃ綺麗でした♪
ご近所のお地蔵さん 考 ― 2022年11月30日 05:38
我が家の直ぐ近くの道端に珍しい小さな子を抱いた子安地蔵の祠があります。
ご近所の皆さんの協力のもと、毎年8月20日前後に“地蔵祭り”(地域によっては“地蔵盆”とも)を行っていますが、ここ数年コロナ禍で中止が続いています。
今年は開催かと思っていましたが、おりしも押し寄せたコロナ第7波のあおりで開催を断念しました。
かつては子供たちがメインの行事でしたが、現在は近在のお年寄りの方々中心でのお参りが多いので、念には念を入れての断念でした。
このような“地蔵祭り”は近畿地方発祥の伝承行事と言われているようですが、ここ北陸でもよく行われています。
私の地区ではかつては近在のお年寄りが世話役していたものが、世代交代とともに近所の方々による世話役の当番制となって引き継がれてきています。
8月の終わりに色鮮やかな旗や幕で飾り付けられた“地蔵祭り”の光景を田舎の良き風物詩として見続けてきましたが、寂しいことに時代とともにこの“地蔵祭り”の継続に異論や疑問を感じる若い世代が増えてきているのが実態のようです・・・少子高齢化で子供の姿もめっきり見かけなくなりましたし・・・
これまでは世話役当番が我が家に巡って来ても、親や妻が近所の方々と段取りしてくれ、私は家にいる時のみ手伝う程度の半ば傍観者でした…
ところが、今年、仕事を準リタイヤしたことにより十数年ぶりに回ってきた世話役当番の当事者となってしまい、あたふたとその段取りをしていました(^^;
結果的にはコロナ禍での開催断念となったのですが、先にも書いたように“地蔵祭り”継続問題が水面下で渦巻いていることを知り、その渦中に足を突っ込まざるをえなくなったのです…
間違いなくコロナ禍によるここ数年の開催中止が、この継続問題を顕在化させたものです。
私個人としては無味乾燥な近所付き合いになりつつある現在、昔から伝承されている数少ないこのような行事を通して近所の絆を深めていくことに意味があると思っているのですが・・・
一方で、そもそも毎日目にしているこの子安地蔵の謂れそのものをよく知らないことにことに改めて気づかされました(^^;ゞ
で…お地蔵様の謂れやこれまでお世話されてきた経緯を知らずに継続問題は語れないと思い始めたのです…
自分の親に聞こうと思っても既にいないし…
そこで、この手の話は世話をやってこられた長老と言われる方々に聞くのが一番と思い、話を伺ってみました。
結果的には大正・昭和初め生まれの80~90歳代の方々でもこの子安地蔵の明確な謂れが分からないことが分かりました。
しかし、その長老方の話をまとめると…概略は以下のようです。
<子安地蔵の謂れ>
かつて、雑木林の中の細い道で小さな子を抱いた若い女性が行き倒れになって亡くなっていた。
不憫に思った近くの集落の方々が弔い、その行き倒れた地に子安地蔵を安置した。
近年、行き倒れになった母子の身許を調べた人がいたが不明だったとのこと。
<安置された年代>
明治時代かそれ以前? 不明
話を伺った80~90歳代の方々の子供時代には既にお地蔵さんは存在し、地蔵祭りがおこなわれていた。
このことから、少なくとも明治時代かそれ以前ということは確実…
<安置場所周辺の変化>
大正末期頃まで、子安地蔵が安置されている場所は荒れた丘陵地帯の雑木林で、周辺集落を結ぶ細い道があった寂しいところ。
昭和初期、近くの庄川の電源開発事業と相まって、丘陵地の開墾が大規模に行われた。
その開墾に合わせて子安地蔵が安置されている道も少し拡張され、子安地蔵そのものは道に面した開墾水田の畔に取り込まれた。
戦後、各集落(村)が合併して町になったが、子安地蔵沿いの道も町道として更に拡張されて、その子安地蔵は道端の位置となった。
その後、街の拡張とともにその周辺が宅地化され、今の住宅街が形成された。
この時期(昭和20年代半ば)、この道沿いに我が家はじめ数軒が建ったと思われます。
今では子安地蔵周辺の住宅街も世代交代が進み、一部は既に空き家化しつつあります。
旧来の集落も含めて約40軒ほどでこの子安地蔵の維持管理・地蔵祭りなどの伝承事業を続けていましたが、今後どうなるか・・・せめて私の世代がいる限りは続けたいと思っているのですが・・・
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