北海道旅行 二日目(函館で昼食) ― 2022年07月01日 04:54
さて、12時半頃に函館に入ってきました。
昼食をどこで・・・なのですが、既に行き先は妻のリクエストをナビにインプットしてあります。
そのリクエスト先は・・・旅行雑誌に出ていた函館市内の「立ち食い寿司」屋さんです(^.^)
ネットで事前に調べてきたのですが、なんでも「爆裂15貫盛」というランチが話題になっていました。
そこに是非行きたい!と(^.^)
着きました・・・
「シゲちゃんすし」です。
場所は函館市内中心部、函館市電・堀川町駅のほど近くにある庶民の台所「中島廉売」のすぐ近くです。
昭和9年に起きた函館大火後、被害の少なかったこの地区に露天出店が増え、昭和11年までにはおよそ100軒が連なって賑わっていたところだそうです。
確かに付近のお店には買い客もちらほら見かけ、このシゲちゃんすしの隣のお豆腐屋さんには列ができていました。
列が付いているお店は妙に気になりますよね(^.^)
さて、妻の目的はこのシゲちゃんすしの「爆裂15貫盛」です。
とはいえ、正直朝食をたくさん食べてきたこともあり、それほどいらないなぁ~(^^;ということで、1人前を二人で分けようということにしました。
妻はルンルン♪しながらお店に入っていきましたが、私は路駐なので車の中で待機です。
妻がお持ち帰りで戻ってきた時に、ちょうど目の前の駐車場が開いたのでそこへ車を駐車していただくことにしました(^.^)
まともに写真を撮るのを忘れてしまったのですが・・・
私は7貫いただきましたが、ま、味は普通ですかねぇ・・・
肝心の価格を聞くと、「雑誌には1200円やら1400円って書いてあったけど、1700円だった(^^;」と…
ま、そんなものでしょうねぇ…
雑誌で話題になると客が増え・・・ってな感じなのでしょうかね。
あっ、でも妻曰く「とても愛想の良い対応で、目の前で一貫一貫握ってくれて感じはよかったよ♪(^.^)」とのこと。
妻が満足してくれればそれでヨシです(^_-)
さて、妻も満足したので、今日のメイン行事に突入です。
結婚式に出席の親戚と合流するため、この日宿泊するホテルへと向かいました。
ホテルの場所は函館駅の横、函館朝市のすぐ目の前のホテルです。
この続きはまた(^_-)
北海道旅行 二日目(函館散策その1) ― 2022年07月02日 08:46
予定通り13時半にはこの日泊まるホテルに到着し、親戚メンバーとも合流し、結婚式場への移動やスケジュール等々も打合せしました。
その結果、式場には16時まで入ればよいこと、それまでは自由時間ということになり、私と妻、そして妻の妹の三人で式場まで車で行き、16時までその周辺を散策することにしました。
着替えなどは式場で、です。
式場は函館観光のメインの一つでもある函館山の麓にあり、聖ヨハネ教会の隣でナイスロケーションです♪
地図を見ると、見どころ一杯のゾーンですね(^_-)
さてさて、実際に車で行くと一方通行やら狭い道が交錯してグルんぐるん廻ってようやく式場の駐車場を見つけ、散策に出発です♪
先ずは結婚式会場の真横にある函館聖ヨハネ教会です。
新しい現代的なデザインの教会ですね!
この教会は1874(明治7)年に英国人のデニング司祭が函館に上陸し宣教活動を始め、英国聖公会(現、日本聖公会北海道教区)の教会として道内の先駆けとなったそうです。
最初の教会は1878(明治11)年、基坂(後ほど紹介する旧イギリス領事館がある坂)の下に建造されましたが、度重なる大火による焼失で移転を余儀なくされ、現在の聖堂は1979(昭和54)年11月に完成したものだそうです。
中世紀におけるヨーロッパの教会にならった工法を用いた、近代的なデザインがとても斬新で美しいですね。
この教会、たぶん函館山から見下ろすときれいな十字架の形に見えると思います。
さて、この函館聖ヨハネ教会から北西方向にある元町公園方面に向けて函館山の麓を横移動していきます。
この辺りの道沿いは「函館市元町末広町重要伝統的建造物群保存地区」となっており、洋風、和風の家々が入り混じって立ち並んでいます。
背景の尖塔はカトリック元町教会です。
通りにはこんな和洋も・・・
私的には右側の土蔵のような建物に目につきました♪
かなり傷んでいるようですが、持ち主としてはなかなか維持管理すんるのは大変なんだろうなぁ、とついつい現実的な目で見ちゃいますね(^^;ゞ
次にはカトリック元町教会が見えてきました。
蔦のからまる石垣の向こうに赤い屋根と尖塔が青空に生えて素敵な風景です♪
ここは帰り道に見て行きましょう・・・
この道を挟んで函館山側には函館ハリストス正教会がありましたが、今は改修工事中らしく足場に囲まれてその美しい姿が見られません・・・残念!
この函館ハリストス正教会は日本初のロシア正教会聖堂だったそうです。
残念ながら今年年末まで大規模修復が行われており、今年のクリスマスには白壁と緑屋根の美しい姿を魅せてくれるでしょう。
現存する聖堂は1916年築だそうです。
なお、週末などに美しい音色を奏でる鐘があることも有名らしく、1回あたり3~5分間にわたって函館山の麓一帯に響き渡り、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれているそうです。
この鐘の音は環境庁「日本の音風景100選」に認定されているそうですよ。
歴史的には、1859年、初代ロシア領事が現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保し、翌1860年、領事館付属聖堂として建てられたのが、初代の聖堂だそうです。
翌1861年に来函した司祭聖ニコライが、この聖堂を拠点に日本で初めて正教会を布教したそうです。
その後、この聖ニコライが東京駿河台にあるニコライ堂(正式名称は「東京復活大聖堂」)も建てています。
さて、その函館ハリストス正教会を過ぎるか過ぎないかのところで出会うのが・・・この坂の風景・・・
有名な八幡坂です。
真~~っすぐ下った先に函館の海・・・♪
いや~ずっと眺めて居たくなる風景であり、立体感があります♪
写真では分かりずらいと思いますが、この辺りの坂は結構な勾配なんですよ。
路面電車通りは海沿いなので、そこからこの辺りの散歩にはこのような坂の上りが結構きついでしょうねぇ(^^;
さて、この場所、人気の撮影ポイントらしく、多くのカメラを持った方々が集まっていました。
私もど真ん中から取りたいので順番待ちです(^.^)
さて、この先さらに進みます・・・
つづく
北海道旅行 二日目(函館散策その2) ― 2022年07月03日 07:15
八幡坂を見下ろし、気持ちよく横道を進みます・・・
この辺りは旧外人居留地で坂と沢山の史跡があり、メイン通りは道幅も広く気持ち良い散歩ができます。
洋と和の雰囲気がまじりあった街並み、いいですねぇ~♪
今回もパッと目に入ったのが和のこのお店です♪
「菊泉(きくいずみ)」という和カフェです。
大正10年建築の酒問屋別邸をほぼそのまま生かしたこの建物は、函館の伝統的建築物として指定されているそうです。
辛党のσ(^_^)としては美味しいお酒でも飲めるのか!?と期待したのですが・・・(^^;ゞ
更に進むと右手に公園が広がっています・・
・麓に広がるのは元町公園・・・その片隅に建つ像とそこから垣間見える港の見える光景・・・ん~ン絵になりますね♪
左手の土手の上には大きな洋館が見えてきました・・・
旧函館区公会堂です。
非常に大きな立派な建物で、しかも新しく見えますね。
調べてみたら平成30年(2018年)10月1日から令和3年(2021年)4月25日まで、二度目の耐震補強を含む大規模な保存修理工事を実施し、令和3年(2021年)4月26日リニューアルオープンしたので新しく見えるのですね。
建物そのものは明治43年(1910年)完成したもので、昭和49年(1974年)に本館と附属棟の2棟が国の重要文化財に指定されています。
大正天皇や昭和天皇もお越しで、明治から昭和にかけて活躍してきた由緒正しき歴史的建造物なんですね。
そして、この旧函館区公会堂の前に広がるのが元町公園です。
港の見える気持ちの良い光景が広がっています♪
さて、この後はこの公園を降り、もう少し周辺を散策してから式場へ帰りましょうか・・・
つづく・・・
北海道旅行 二日目(函館散策その3) ― 2022年07月04日 06:35
さて、元町公園を下の方に降りていってみましょう・・・
これは元町公園上部から見渡すJR函館駅方向の光景です。
気持ち良い光景が広がっていますね♪
中央少し右に見える係留されている大きな船が「函館市青函連絡船記念館摩周丸」で、その背後にJR函館駅があります。
その更に奥には五稜郭タワーが見えます・・・
手前、公園の右側に広がっている木々の茂みには旧北海道庁函館支庁庁舎、函館奉行所跡があり、その下の基坂には旧イギリス領事館があるようなので行ってみましょう。
元町公園下部の一角にテラスのようなところがあり、「函館奉行所跡」という書いた木杭が立っています。
この港を見下ろせる場所に奉行所が設けられたのは江戸末期の享和3(1803年)だそうです。
18世紀後半、鎖国体制をとっていた日本沿岸に、外国船が近づく事件が頻発するようになっていました。
かつロシアの南下政策の影響もあって、蝦夷地での接触が避けられないものとなり、日本とロシアの関係悪化が進みました。
そこで幕府は、寛政11(1799)年に松前藩が統治していた東蝦夷地を直轄地にして、幕府が外交上の問題に直接かかわれる体制をつくりました。
享和2(1802)年には蝦夷奉行(同年に箱館奉行と改称)が設置され、その翌年には箱館の港を見おろせるこの場所に奉行所を建てたそうです。
もっとも、この場所は函館港に入港する外国の軍艦からも丸見えの場所だったため、函館開港防衛のために築いた五稜郭に元治元年(1864)移転したのです。
ですから、函館奉行所というと五稜郭にある建物を指します。
この函館奉行所跡の隅から背後に聳える函館山方面を見ると、こんな風景です・・・
背後の函館山、元町公園の上に旧函館区公会堂、その左下の白っぽい建物は旧北海道庁函館支庁庁舎です。
左端に切れて写っているレンガの建物は旧開拓使函館支庁書籍庫です。
この辺りは江戸末期から明治にかけての北海道開拓史の中心的な役割を果たした要所であることが、現存する建物群をみればわかりますよね。
さて、さらに元町公園の下に降りていきます・・・
振り返ればこの光景です・・・♪
正面に函館山、旧函館区公会堂、そして左に旧北海道庁函館支庁庁舎、旧函館奉行所跡・・・
元町公園一帯には素敵な空間が広がっています♪
この階段を降り、道を渡ると函館の港に向かって基坂が下っています。
その基坂を少し下った右手にあるのが・・・旧イギリス領事館です。
イギリス領事館は1859年に函館市に開設された領事館の中でアメリカ、ロシアに次いで3番目に古いそうです。
開港に伴い最初は称名寺というお寺の中に開設され、2回の移転を経て、1879年(明治12年)の函館大火後に,現在の元町に新築されたそうです。何回かの火災で立て直され、この建物は、1913年から1934年まで領事館として使用されていたそうです。
では、美しい旧イギリス領事館の周りをグルッと廻ってみましょう・・・
裏の庭は庭園というほどの規模と様式にはなってはいませんが、流石イギリスだけあってちょうどバラが咲き誇って良い香りが漂っていました♪
さて、そのバラが咲く庭の上・・・なにやら立派な和洋折衷の屋敷が建っていますね・・・気になります(^_^)
それでは、そろそろ式場への帰路につきましょうか・・・
つづく
北海道旅行 二日目(函館散策その4) ― 2022年07月05日 05:28
さて、そろそろ甥っ子の結婚式場に戻りましょう・・・
場所は最初に紹介した函館聖ヨハネ教会の横です。
旧イギリス領事館の上に見えた立派な和洋折衷の屋敷が気になります。
帰りはそこを通って行きましょう・・・
前を通ると・・・国指定重要文化財の旧相馬家住宅でした。
立派な門構えに、ところどころ和洋折衷の屋敷です。
相当な資産家だろうと言うことが分かりますが、その相馬家とは??ということで調べてみました。
この立派な建物を建てたのは相馬哲平という人物で、新潟出身の方だそうです。
28歳で函館に渡り、日夜働き北海道屈指の豪商に上り詰め、貴族院議員にもなった方だそうです。
Wikipediaにはその経歴がずらっと書いてありますが、何よりも函館には多大な寄付をしている方だそうで、先に紹介したあの旧函館区公会堂は彼の寄付によって建てられたものだそうですよ。
この豪邸も火災によって街が焼け野原になった時に、焼け出された住民を大勢雇い入れて自分の屋敷の建て直しを行い、街の復興に努めたそうです。
昔の金持ち偉人によく見られる“郷土報恩”の精神で資財を公共に投ずるという典型的な方だったようですね。
現代のお金持ちの方々は・・・どうでしょうか?・・・
ちなみに、相馬家にはこの哲平氏によって挙げられた以下の家訓が受け継がれているそうです。
一、神仏を崇敬すること
一、勤倹を守り、贅沢をせぬこと
一、家業を大切にすること
一、借金をせぬこと
一、投機に手をださぬこと
一、政治に関係せぬこと
なるほど・・・でも、屋敷には贅を尽くしているようですが・・・(^_^;
(庶民のやっかみですが(^^;ゞ)
その広い旧相馬家住宅前を過ぎるとこんな坂道が・・・
素敵な名前が付いている坂です。
“日和坂”
よい日和・・・ゆっくり海に向かって歩く・・・♪
素敵な光景ですよねぇ♪
ちなみに、前出の相馬家の仕事場は先に紹介した旧イギリス領事館があった基坂を下ったところにあるので、相馬家としてはこの坂は勝手口の通りだったかも?ですね(^_^)
ちなみに、この日和坂の一角にこのような案内板がありました。
この日和坂周辺には様々な伝統的建築物や邸宅があるようですね。
一軒一軒見て廻るのも面白いかもしれませんが、今回は時間もないので・・・
そうそう、この案内板に書いてあった日和坂の由来・・・
「坂の上から港を眺め、日和を判断したものです」
いいですねぇ〜♪
さて、行った道の一本下の横道を進むと、先に紹介した八幡坂に来ました。
この角に飲み物やソフトクリームを売っている小さなお店があり、渇いた喉を潤すために牛乳を買ってグビッと♪
ふぅ〜坂の下を眺めながら一息つきました♪
その八幡坂を上がるとこんな像が・・・
そこは現代的なビルのようなのですが、よく見ると「函館修道院」と書いてありました。
ここは正式名称を「シャルトル聖パウロ修道女会」というらしく、起源は17世紀末、パリ郊外のシャルトルにあるそうです。
なんでも、1878年(明治11年)5月28日、Srマリ・オーギュスト、Srマリ・オネジム、Srカロリヌの3人がオズーフ司教の要請に応えて、シャルトル聖パウロ修道女会から派遣され函館に到着し、日本での宣教が始まったそうです。
3人は身寄りのない子供たちの養育、病人の見舞いそして近隣の子供たちに手仕事を教えることから始めまし、以来140年余、その活動は東京、仙台、盛岡、そして八代、湘南、箱根にと支部が創設されて、引き継がれ、現在9カ所の地域で奉仕されているそうですね。
その3人の修道女のレリーフが修道院の玄関横に掲げてありました。
この函館修道院前から湊方面を見下ろした八幡坂の光景です♪
まだ続きます・・・
北海道旅行 二日目(函館散策その5) ― 2022年07月08日 06:02
さて、函館修道院を見ながら八幡坂を登り切り、先ほど通り過ぎた函館ハリストス正教会や元町カトリック教会の通りに戻ってきました。
本来ならば函館ハリストス正教会をじっくりみたいものですが、工事中なのでその向かいの元町カトリック教会に行きましょう…
元町カトリック教会の門前に来ました。
ドイツやヨーロッパで様々な教会や大聖堂を見て廻ってきましたから、パッとした見た目、この規模感は日本的にコンパクトでなかなかいいまとまりですね♪
ところで…門柱を見ると…?
この教会、観光案内パンフレットやGoogle Mapで「元町カトリック教会」と記載されているので、その名称でこれまで紹介してきましたが…よく見ると『カトリック元町教会』って書いてありますねぇ…(^^;
後日この教会のHPを発見しましたが、やはり『カトリック元町教会』です。
どうも日本のカトリック教会は16の教区に分かれ、それぞれに属する教会は“カトリック〇〇教会”と言われているようですね。
が、ここは気にせずに今までの読み方でいきます(^^ゞ
ともかく…中に入っていきましょう…
聖堂への入り口、拝廊は左側のようですが、立ち入り禁止のロープが架けられています。
一方で、鐘楼のある尖塔の下から人が出入りしています…たぶんここから中に入れるようです…
中に入るとすぐ横から聖堂に入ることができ、薄暗い聖堂の奥に輝く祭壇がありました。
聖堂はカトリックの教会なので煌びやかですが、厳かな空気が漂い、やはり教会独特の雰囲気です。
その状況を写真でお伝えしたいのですが、聖堂内は「撮影禁止」でした…
ヨーロッパの教会や大聖堂ではそのほとんどが撮影可能だったのですが、日本ではやはり神聖な場所での撮影は禁止になっている事が多いようですね。
そこで、一旦外に出て拝廊の外から中を覗いてみることにしましたみ…
奥の祭壇が見えるでしょうか…なかなか立派です♪
後日、元町カトリック教会の下記HPに聖堂内が詳しく載っているのを見つけたので、ご興味のある方は是非見てみてください。
ところで、この拝廊で驚いたのは拝廊の両サイドに畳が敷いてあり座布団が置いてあることです。
ミサの時には信者が座布団に座って司祭、神父をお迎えするのかもしれませんね。
日本的です(^.^)
もう一つ、拝廊右側に掲げてある絵です。
洞窟の上の聖母マリア様・・・これってカトリックの巡礼地で世界的に有名なルルドの洞窟だと思います。
ルルドの洞窟とは聖母マリアが出現したという奇跡が起きたフランスにある場所です。
この時はその絵があるな、くらいにしか思わなかったのですが、後日ここ元町カトリック教会の情報を調べていると、この聖堂裏に高さ1.5mの聖母マリア像をまつる「ルルドの洞窟」があり、毎年5、10月に信者が祈りをささげているそうなのです…(見てみたかった(^^ゞ)
※実は翌日、トラピスチヌ修道院とトラピスト修道院に行ったのですが、この両修道院でも「ルルドの洞窟」がありました。
日本では明治維新以降のキリスト教布教とともに、この「ルルドの洞窟」信仰が熱心に紹介され各地の教会や修道院に造られていったようです。
さて、もうそろそろ式場に戻りましょう…すぐ近くです…
近道は…元町カトリック教会の門前の坂道、大三坂をさらに登っていけば行けるはずです…
ん?…その坂を登ろうとしたところ、入り口に「チャチャ登り」という一風変わった名が付いた案内板がありました。
この登り、函館山の麓のなかでもかなり急な部類に入る坂だそうで、「チャチャ」とはアイヌ語で「お爺さん」のことで「おじいさんが腰を屈めて歩く様」と案内されていました。
確かに勾配が急な坂を上ると前のめりで腰が曲がりそうです(^^;
この坂の途中から散策スタート地点の式場下の函館聖ヨハネ教会に入れます。
結構きつい登りですけど…(^^;
その「チャチャ登り」、途中から振り返ると・・・いや~やっぱきつい坂ですワ!
はい、すぐ右横が函館聖ヨハネ教会です…
着きました…ゼイゼイ(T_T)
つづく
北海道旅行 二日目(函館の夜その1) ― 2022年07月09日 07:01
お爺さん登り、いやチャチャ登りを息を切らして登り切り、函館聖ヨハネ教会にたどり着いたところ、教会内に入れることが分かりました♪
早速中に入りましたが、先に見た元町カトリック教会とは全く趣が異なりました。
外観と同じように現代的なデザインでかなりシンプルなのです。
ここは撮影禁止のマークは見当たりませんでしたが、やはり写真を撮っていません。
歩きと坂登りでもうカラータイマーが点滅状態で余裕もありませんでしたしねぇ(^^;(古い!)
ちなみに、後日調べたところ、この函館聖ヨハネ教会はイングランド国教会をルーツとする日本聖公会の教会で、プロテスタント寄り、カトリックとの中間、中道を自認している宗派だそうです。
故に、煌びやか系の元町カトリック教会とはやはり趣が異なって当たり前なんですね。
さてさて、お遊びはこれくらいにして、今回の北海道行きの一番の目的、甥っ子の結婚式に出席です。
式場は函館聖ヨハネ教会の真横、「センティール・ラ・セゾン 函館山」というところ。
会場で着替え、17時から結婚式、18時から披露宴、21時頃にお開きといったスケジュールです。
式は滞りなく終了しましたが、撮影は一切禁止とかで、厳かに…
神父様のお言葉も、教会を見てきた後なので神妙に聞き入りました…
一方、式後の披露宴は今時のスタイルですから、親戚のいらぬ出番なんてありませんし、コロナ禍なのでお酒を注いで歩くなんてことも無し…
お陰でお酒とお料理をじっくりと楽しませていただきました♪
途中、外の空気を吸いに庭に出ると…お隣の函館聖ヨハネ教会がきれいにライトアップされていました(^.^)
きれいだなぁ~♪
約2時間半余り、幸せな若いカップルのお祝いで大いに盛り上がった宴も終わりました…
お客様方を送り出し…さてσ(^_^)達も帰りましょうか…いや、できればこれから函館山に登りたいのですが(^_-)
そう思って会場の外に出て函館山を見上げてみると…なんと函館山は霧の中で見えません!(T_T)
そう、この夜は霧が上から徐々に降りてきており、式場の近くももうすぐ霧に飲み込まれる状況だったのです(^^;
かろうじて式場横の函館聖ヨハネ教会がライトアップで美しく浮かび上がっているだけでした…
しょうがありません…函館山からの夜景は断念し、おとなしくホテルに戻りましょうか…
あっそうそうσ(^_^)飲んでます…妻に車の運転を交代です(^^;ゞ
つづく…
北海道旅行 二日目(函館の夜その2) ― 2022年07月10日 06:29
ん~ン…期待していた式後の函館山登りでしたが、霧に覆われて断念です(T_T)
あの「100万ドルの夜景」…後ろ髪をひかれる思いでホテルに戻ります…
が、夜の函館夜景が諦めつかないので…運転手さん(妻)に「すみません、金森赤レンガ倉庫に寄ってもらえますか?」・・・「え?!どこ?私の運転で大丈夫?お高いですよ!ヽ(`Д´)」…「お願いします_(_^_)_」なんて会話を交わしながら途中寄ってもらいました♪
あらら…もう22時少し前・・・ライトアップされているものの人気もなくちょいと寂しいなぁ・・・
でも、蔦が絡まってきれいです♪パチリ♪
ところが、後で撮ってきた写真を調べていると…なんか違う…( ,,`・ω・´)ンンン?
私がリクエストした金森赤レンガ倉庫ではなく、一本通りが違うところだと分かりました・・・あぁ~(T_T)
赤レンガ倉庫群の一部であることは間違いありませんが…本命ではなかったようです(^^;
乗っけてもらった身、文句も言わず(言えず)おとなしくホテルへ帰りました…
とは言え、せっかく函館に来ているし、夜の街をちょっと歩こうかと、妻を誘って波止場まで夜の散歩をしてみることにしました…
外に出ると…街は霧に包まれつつあり、人気も無く静まり返っています…(^^;
明かりがついているところは居酒屋のようなお店だけみたいですが、中を覗くと土曜日夜なのにほとんどお客さんがいませんねぇ(^^;
居たのはこの巨大なタコでしたΣ(・□・;)
波止場まで行こうとしたのですが、既に時間が遅いせいかゲートが閉められて行けません・・・仕方なく函館駅前を見てからおとなしくホテルに戻ることにしました。
霧にむせぶ夜のJR函館駅です…
土曜の夜なのに静かだなぁ…
明日につづく…
北海道旅行 三日目(函館朝市) ― 2022年07月11日 06:08
さて、函館で迎える三日目の朝!
6月19日、日曜日の朝です♪
泊まったホテルの一番の期待が…朝食です(^_-)
実はこのホテル、朝食は目の前の函館朝市内の「きくよ食堂」かホテル1階のテナント店「ラッキーピエロ」のどちらかを選べるという美味しい選択が売りなんです♪
どちらも函館に来たら寄りたい有名店なんですね(^.^)
「きくよ食堂」はもちろん和食で魚介類♪
「ラッキーピエロ」は洋食でご当地人気ハンバーガー屋さん♪
ん~ン…悩みますが、やっぱり函館での朝ごはんは魚介の和食でしょ(^_-)
「きくよ食堂」は朝5時から開いているそうですが、人気店なので列ができるとのことだったので朝6時半に行ってみました(^.^)
ホテル前の朝市の建物の中を突っ切り…
「きくよ食堂」に行くと、何人かが既に店前で並んでいます…
が、意外と早く中に案内されて席に座れました♪
ホテルからは朝食券を渡されており、数種類の朝定食が選べるのですが、面白いのは追い金すれば海鮮丼とか刺身定食などにUPグレードできるのです(^_-)
例えば〜♪
これ、“元祖函館 巴丼”とか♪
うに、いくら、ほたて・・・(^_^)
が、朝からおなかにドカ~ンとくるものは欲しくはないので、私は追い金なしの銀だら焼き定食です♪
美味しい!!♪
美味しい朝ごはんをいただいて外に出ると…もう店の前には列が増えてました(^^;
日曜日の朝7時前でこれですヨ(^^;
まぁ~人気店であることが良く分かります!
旅行雑誌には必ずといっていいほど紹介されているお店ですしね。
さて、ホテルに戻ってチェックアウトの準備でもしましょうか…
そのホテルに戻るにはやはり朝市の中を通らなければなりませんが、さすが朝市、朝から繁盛してますねぇ~(^.^)
景気の良い声が響いています♪
妻が朝ごはん食べてきたのに、途中でお店のおばちゃんらから差し出されるサンプルの味見しながらなかなか市場から出てきません…私は外で待ちぼうけです(^^;
ちなみに、朝食場所のもう一つ、「ラッキーピエロ」ですが、ホテルの1Fにあるので、チェックアウトしてから出発前に店先を見てみました。
8時前、若者中心に長者の列がついてました(^^;
ここも人気店なのですねぇ~♪
日曜日の朝、朝食で列を作るお店に驚きました!
さて、この日は函館から松前、江差を経て日本海側を北上し、今晩の宿のせたな町へ向かいます。
では出発です…♪
つづく
北海道旅行 三日目(函館・トラピスチヌ修道院) ― 2022年07月12日 05:39
さて、ホテルを出て先ず向かったのは函館の東側郊外、湯の川温泉、函館空港に近いトラピスチヌ修道院です。
本来の計画では、この日のコース(函館→松前→江差→せたな)と反対方向になるトラピスチヌ修道院は予定に入れておらず、函館市内で五稜郭に寄ってからコース内にあるトラピスト修道院に行って、松前に向かう予定でした。
ところが、函館でもう一泊してから富山に帰る予定の妻の妹とトラピスト修道院まで一緒に行動することになったこと、五稜郭タワーが9時からしか開場にならないことが分かったので、その時間調整も兼ねて先ずは反対側のトラピスチヌ修道院に寄ってみることとしました。
車だと臨機応変にコース変更です(^.^)
ホテルを出て、先ずは湯の川方面へ…
函館も路面電車(市電・トラム)が走っており、多くの観光スポットはこの路面電車で訪れることができます。
路線数は少ないですが、バスと連携した格安の一日券などあるので結構便利に利用できるようです。
ちなみに、函館駅前からは市電とバスを乗り継げば50分余りで行けるようです。
日曜日の朝8時…函館市内ですが道は空いています♪
20分足らずでトラピスチヌ修道院に到着しました…
が、周辺の駐車場には人っ子一人いませんし、車も停まっていません…
時刻はまだ8時半…修道院の門に行くと…
まだ門が締まっており、8時半開門という案内板が立っていました。
本来は朝8時が開門と旅行雑誌などに書いてあったのですが、コロナ禍での対応として開門時間を遅くしているようです。
日曜日ですが、この時間に訪れる人は全くいません・・・(^^;
8時半、掃除をしていたおばさんが門を開けてくれ中に入りました…
私ら3人だけです…
静けさ広がる修道院の中へ・・・
迎えてくれるのがこの光景です・・・
かつて・・・45年程前でしょうか・・・大学生の頃に車で日本海側を北上し、青函連絡船で渡って北海道を一周したことがありました。
函館に渡り、最初に行ったのがここトラピスチヌ修道院ではなかったかと記憶しています・・・
その美しい庭園内が新鮮だったことを微かに覚えています。
門をくぐって中に入ると先ず迎えてくれるのが聖ミカエルの像です。
ヨーロッパの教会・大聖堂巡りで良くお会いする方、大天使ミカエル・・・またお会いしましたね♪
その奥に表れるのは聖母マリア・・・
この二つの写真・・・人っ子一人いない朝のこの光景・・・いや~~素敵でした♪
きっちり手入れされたお庭が女子修道院の潔癖さを表しているように感じます。
ちなみに、ここでトラピスチヌ修道院の歴史を紐解きます・・・
正式名称は「厳律シトー会 天使の聖母トラピスチヌ修道院」といい、通称「天使園」と言われているそうです。
以下、そのHPより抜粋です…
「厳律シトー修道会(O.C.S.O.)は、カトリック教会の中で、祈りと労働を主要な手段として神と人々に奉仕する隠世共住修道会です。 1098年、フランスのモレスム修道院の聖ロベルト、聖アルベリコ、聖ステファノ・ハーディング諸修道院長を含む20名ほどの修道者たちによって、 フランスのシトーと呼ばれていた荒れ地に、シトー修道院が創立されました。 更に1125年頃シトー直属の子院として、タールと呼ばれる最初の女子修道院が創立されています。
やがて、シトー修道会の生活様式に従う男子と女子の修道院は、西ヨーロッパ世界の境界を越えて増えていき、著しい発展を遂げました。 しかし、発展の後には、弛緩した時期もあり、これに対する改革の試みが様々な形で繰り返されました。 中でも17世紀の動乱の時期に、フランスのラ・トラップと呼ばれている修道院で行われた改革は広く知られ、この改革を汲む3修族が1892年に合併して、「トラップの聖母改革修道会」を形成し、現在では「厳律シトー修道会」と呼ばれています。
天使の聖母トラピスチヌ修道院(通称:天使園)は、1898年 (明治31年)、フランスのナンシー近郊のウプシー修道院から派遣された8名の修道女によって創立されました。 これは、日本、とりわけ北海道にキリスト教を伝え、豊かな霊的収穫を収めるためには、日夜祈りに励み、労働の尊さを世にあかしするトラピスト修道者の精神的援助が必要であると痛感された、当時のパリー外国宣教会ベルリオーズ司教の尽力によるものでした。
現在、厳律シトー修道会は世界に広がり、男子と女子の修道者たちが神の招きに応え、聖ベネディクトの戒律に従い、隠世共住修道者として奉献の生活を送っています。」
つづく・・・
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