半世紀の自動車価格の変遷… ― 2023年09月08日 07:27
先日、旧宅の整理をしていると懐かしい書類が出てきました…
社会人になった時に買った自動車の見積です。
人生で初めて買ったマイカーは1979年発売のホンダシビック1500CXでした。
このシビックは二代目で、初代のスポーティーモデルのRSやRSLを受け継ぐCXにすっかり魅了され、新人社会人でしたがすこし背伸びをして手に入れたものでした。
もちろん、当時は5MTです!
その時の本体価格が…
95万7,000円
新車価格ですよ!
今から思えば安いですねぇ~(これでも最上級グレードです)!
とても軽快な車で、タコメーターとスピードメーターが同軸の変ったメーターパネルがお気に入りでした♪
ただ、塗装品質が今一だったのを覚えています(^^;
さて、時代が変わり…あれから40年余り…
今乗っている車(アコード)の買い替え時期も迫ってきていることもあり、ついこの間次期の車の検討していた中で見た今のシビックの値段を見てビックリしていたところでした。
11代目シビックの本体価格は…
ガソリン:324万円
e:HEV :398万円
Type-R:500万円
車格や機能が大幅にupしている事を加味しても…40年余りで3.5~5倍も高くなっています(◎_◎;)
シビックって車名の通り庶民の車じゃなかったっけ??…です(^^;
この大幅な価格上昇…そういえば40~50年程でどのような価格上昇しているのかなぁ…とちょっと気になったので調べてみました…
・・・・・・
ありました♪
そのものズバリの資料が(^_-)
その名も「50年あまりにわたる乗用車価格の推移」です。
総務省統計局における公開値【小売物価統計調査(動向編)調査結果】から各種計算を施し、自動車の本体価格の推移を確認したものだそうです。
ここでは結論のみ出しておきます。
小型乗用車の50年余りの本体価格推移は・・・
どうです?…驚きのグラフです!
最古の1970年では65万4000円、最新の2023年では366万9307円だそうで、何と約5.6倍も上昇しているのです!
このグラフと先に例を挙げたシビックの本体価格と見比べると…
買った1979年をグラフから読み取ると約98万円、買った1500CXが約96万円、現在はグラフで約367万円に対してType-Rは別格としてガソリンとHVを平均すると約361万円・・・
ん~ン!!ほぼほぼこのグラフに合っちゃいました!!!
このことから、シビックが特別に高価になってしまったのではなく、小型乗用車の平均的価格上昇とほぼほぼ同じ上がり方だというのが分かりました。
最近は軽四でも200万円を超える車種も出てきましたし、某レ〇〇スなどは1千万円越えが当たり前の世の中になってきました…
小型車も平均で367万円とは…すごい時代になったものですねぇ(T_T)
ただ、当然この50年で物価も上がっているので、本来その物価上昇率も加味して見なくてはいけないだろうなぁ…と思っていたら…ちゃんと考察されていました(^_-)
直近2023年の値を基準値として、各年における物価上昇率を加味して物価が2023年と同じ水準だとしたら、実際にはどの程度の価格になるのか、その推移を示したのが次のグラフだそうです。
単純な金額では50年、半世紀で約5.6倍にも跳ね上がっているように見えますが、物価上昇率を加味すると上昇幅はおよそ+65.7%と算出されるそうです。
さて、自動車の進化に対してこのこの価格推移をどう見るか…
ご自分の収入や消費の状態と照らし合わせてみると…
見え方が変わるかもしれませんね。
少々結論が曖昧ですが、家の片隅から出てきた約40年前の見積の紙で、少し考えさせられるひとコマでした(^^ゞ
約半世紀の思い出の一つを断捨離! ― 2023年09月09日 16:07
旧宅の片付け、ようやく自分の部屋の順番が廻って来た・・・
今年の夏は猛暑が続き、その暑さを避けて休日の早朝か気温が下がった夕方となると、その進みは牛歩のごとくであります(^^;ゞ
しか〜し!約半世紀の蓄積が凄い!(^_^;
4畳半と半畳の押入の中にビッシリと本や雑誌が詰まっています・・・
読んできた本、大学の教科書&文献類、学会誌、その他諸々・・・
その中でも先ずは学生時代から溜め込んできた学会誌とパソコン雑誌の整理からです。
並べてみると・・・
「軽金属」が1979年〜2023年
「塑性と加工」が2009年〜2023年
この他に「日経パソコン」が2001年〜2017年まで(2018年以降ドイツ赴任で解約)残してありました。
ん?かなり歯抜けになっていますし、この他に「日本金属学会」「鉄と鋼」があったはずです・・・
妻に確認したところ・・・「貴方の部屋が雑誌で足の踏み場もなくなっていたから、ドイツに行っている間に処分したわよ!」って・・・(^_^;
あら〜〜もう断捨離されていました(T_T)
しかし・・・言われてみれば・・・いままで溜め込んだ学会誌なんて新居に置く場所もないのは明白(^^;ゞ
残しても負のお荷物になるのは明らかです!
元々は製本して残そうとも思っていた時もありましたが、妻に捨てられて歯抜けになっていたので決心が付きました!
この際、断捨離!ということで、思い切って処分することにしました!
ただし、その前に残っていた学会誌に掲載された自分関連の論文や記事の号だけを抜き取って記念に残すこととしました。
(これにしても、現在は全てWeb検索でそのままpdfで見ることが出来るのですがねぇ(^^;ゞ)
思い出にふけって中を覗いていても切りがありません・・・で、本日ポイッと捨ててきました!
近くのとあるスーパーマーケットに古紙の回収ゾーンがあり、そこにポイッ!です(^_^;
(今日は珍しく回収Boxがからになっていたので、気持ち良く捨てられました(^^ゞ)
この古紙回収は1円/kgの金券が発行されます。
今回は学会誌「軽金属」、「塑性と加工」と雑誌「日経パソコン」で合計269kg!269円でした!
ん〜ン・・・約半世紀の思い出深い学会誌と雑誌におさらばで、金券は缶ビールに変わりました(^_^;
思い出に乾杯!( ^_^)/□
・・・
いや、まだまだ整理&断捨離する物が残っています・・・(^_^;
大樹寺三門@岡崎 ― 2023年09月17日 19:02
久々に以下PHOTOHITOと連携です。
この週末、所用で名古屋に行ってきました。
その合間に・・・岡崎まで足を伸ばし、徳川家康縁の大樹寺と岡崎城を見てきました。
もちろん、NHK大河ドラマ「どうする家康」の影響です(^^ゞ
幹線道路を右折し進むと道が石畳に変わりました・・・
そして・・・立派な三門が・・・
お寺の境内の駐車場に車を止め、しばしTVで見たシーンと重なる世界へ・・・
三門・総門の先に・・・@岡崎・大樹寺 ― 2023年09月18日 07:00
今回もPHOTOHITOと連携です。
撮影時間は前後しますが・・・大勢の観光客が去った後で、三門から見る有名な景色です。
ここ大樹寺は松平氏(徳川氏)の菩提寺であり、三門の先にある総門を通して約3km先にある岡崎城まで真っ直ぐ見えます。
総門の中に岡崎城がしっかり見えていますね!
この直線を岡崎では「ビスタライン」と呼んでいるそうですね。
大樹寺と岡崎城の標高差は約5メートルと少なくその間は緩やかな凹地の地形なので、約3km先の岡崎城天守は仰角0.2度、ほぼ水平に望む事が出来るようです。
岡崎市のHPにはこのビスタラインの説明が載っています。
「岡崎城」と岡崎城の北にある「大樹寺」を結ぶ約3kmの直線を「ビスタライン」と呼-んでいます。
「ビスタ」とは「眺望・展望」を意味します。
この眺望は、徳川三代将軍家光が、1641年、家康の十七回忌を機に、徳川家・松平氏-の菩提寺である大樹寺の伽藍を建てるとき、「祖父生誕の地を望めるように」と、本堂か-ら三門、総門を通して、岡崎城が望めるようにしたことに由来します。
以後、歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって拝礼したとも伝えられています-。
時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望は往時のまま-(約370年前)で、門越しに望む岡崎城は、まるで額の中の絵のようです。
「百聞は一-見に如かず」。ぜひ、大樹寺の門越しに望む歴史的眺望を体感ください。
と、いうことです(^_^)
賑わう境内@岡崎・大樹寺 ― 2023年09月19日 08:16
この大樹寺は家康の祖先安城松平家初代親忠が天文4年(1535年)に創建し、同家の菩提寺にしたのが最初と言われています。
その親忠の子長親の代に安城家が松平総領家となったことにより、本寺がは松平宗家菩提寺になったそうです。
ちなみに親忠(松平宗家4代)は松平氏・徳川氏も発祥の地松平郷から先代3代をこの大樹寺に分骨したそうで、8代の広忠(家康の父)までのお墓が松平八代墓として残っています。
なお、大樹寺のHPにはお寺の草創として以下のように書かれています。
応仁元年(1467)8月23日、尾張品野、三河伊保の軍勢多数が井田野に攻め寄せた。
親忠は5百余騎で伊賀村の東いらご縄手で迎え撃ち、一夜と半日の戦いでこれを撃破、細川、大沢まで追撃して潰走させた。
このときの戦死者を葬った塚を首塚とも千人塚とも呼んだが、その後9年を経た文明7年になって、戦死者達の亡霊が騒ぎ出し、塚がしきりに鳴動してときの声がたえることなく、近辺に悪病が流行することになった。
この亡霊を弔うために親忠は塚のほとりに念仏堂を建て、碧海郡宇祢部郷福林寺の住職勢譽愚底を招いて7日間の別時念仏を修し、その功力で亡霊を鎮めた。
この念仏堂は後の鴨田西光寺で、その後親忠は菩提寺として大樹寺を建立し、勢譽を開山とした。
もつとも、この寺伝には異説が多い。大樹寺そのものが亡霊を鎮めるためのものと言い、あるいは鎌倉時代以来大寿寺と言う浄土宗の草庵があったという説もある。
とあります。
ちなみに、徳川家康は松平宗家でいうと9代目になり、後ほど紹介する松平八代墓に並んで昭和44年には岡崎市民が家康公の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立しそうです。
葵の紋幕かかる本堂@岡崎・大樹寺 ― 2023年09月20日 08:34
平日にもかかわらず観光バスが結構頻繁に訪れ、そのたびに多くの観光客がドドドッと押し寄せています…
少し時間を調整し、空き間を狙って後で本堂に行きましょう…
その前に…ここに来た一番見たいところ…そう、桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、今川方にいた松平元康(徳川家康)が大高城から故郷の岡崎に逃れてきて先ず籠ったところが、ここ大樹寺…そして…
の…場所が左に入ったところにあります…先ずはそこへ…
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この本堂、一目見た時に少し気になるところがありました。
屋根が低くありませんか?
松平家の菩提寺であり歴代将軍の位牌が安置されているお寺にしては、もう少し壮大さがあっても…と、正直思いました。
ところが、そう感じた訳が大樹寺のHPに書いてあったのです…
「松平家と徳川幕府の庇護のもと隆盛を誇っていた大樹寺も、安政2年(1855)幕末の騒然たる時代に、出火により本堂、庫裏、書院など主要建物が全焼しました。
万事が倹約のおり、寺領内の木を使用することで規模の維持を幕府に申し出ましたが、結局約2~3割減の規模で再建されたようです。
写真のようになんとなく、本堂の屋根が覆いかぶさるように低く感じられますが、これも倹約の結果とされています。」
第三代将軍家光が寛永13年(1636年)本堂以下の堂舎の新築を命じ、寛永18年(1641年)に58棟すべてが完成した大伽藍だった大樹寺、勝手の七輪の下から出火し、本堂も含めて多くの伽藍が焼失してしまったそうです。
時は安政2年(1855)…江戸末期…当然幕府の財政が火の車状態です…しかし、再建しなければ…ということで規模縮小というわけなんですね(^^;
松平八代墓所@岡崎・大樹寺 ― 2023年09月21日 08:34
松平八代墓+家康の墓@岡崎・大樹寺 ― 2023年09月22日 07:33
家康の先祖八代のお墓、松平八代墓です。
一番手前の新しいお墓は昭和44年に岡崎市民が家康公の徳を顕彰して遺品を納めて建立したものだそうです。
初代親氏のお墓側から見た光景です。
寺伝によると…
永禄3年(1560年)、松平元康(後の徳川家康)は桶狭間の戦い後この大樹寺まで逃れて来たものの、追っ手に囲まれた時、観念しこの先祖の墓前で切腹しようと決意します…
が、その決意を第13代住職登誉上人に告げたところ、問答の末「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説いて元康を諭し、切腹を思いとどまらせたと言われています…
このシーン、NHK大河ドラマ「どうする家康」で見ました。
確かお寺の建物のすぐ裏に先祖のお墓が並んでいた記憶があります…が、ここ松平八代墓付近の雰囲気がかなり違って見えます…
が、よくよく考えてみると、現在の松平八代墓の姿は家康が元和元年(1615)に再建させ、元和三年の家康一周忌の時に現在の姿に整えされたとされます。
切腹しようとした永禄3年(1560年)には先祖の墓としてあった場所等が違っていたのかもしれませんし、ましてや安政2年(1855)には伽藍の火災も起きていますしね…
厭離穢土 欣求浄土@岡崎・大樹寺 ― 2023年09月23日 07:50
大樹寺本堂に入りました。
徳川家康の馬印となった「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」が本堂の内陣両脇に掲げられています。
この「厭離穢土 欣求浄土」は、大樹寺まで逃れて来た松平元康(徳川家康)が先祖の墓前で切腹しようとした際に住職登誉上人がこの教えを説いて元康を諭し、切腹を思いとどまらせ、その後家康の馬印に使われるようになったと言われています(諸説あるらしいのですが…)。
「厭離穢土 欣求浄土」の意味ですが…
「穢れた世の中・国土を嫌(厭)って離れ、浄土に生まれることを心から喜( 欣)んで求める。」
ということだそうです。
徳川家康は当時の世の中は人々が私利私欲で争う醜い時代と考え、「争いに満ちた穢れた世の中を嫌い、平和な浄土を求めるなら、仏の加護を得てそれが達成できる」と考えたようです…
ところで、本堂には歴代将軍、初代家康から14代家茂までの位牌が内陣の両脇に安置されています。
その位牌はそれぞれの臨終時の身長と同じと言う説があるそうです。
ただ、最後の15代慶喜の位牌は無いそうで、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したためだと言われているそうです。





















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