岡崎城本丸 天守閣2023年10月01日 09:00

これが岡崎城の天守閣です。
明治の廃城令で取り壊され、昭和34年にほぼ昔どおりの外観に復元されたそうですが、高さ28m、鉄筋コンクリート3層5階のとても美しい姿を魅せてくれています。

この天守閣の前に二つの石碑が建っています。


 横長の石碑は「家康公遺言碑」
 縦長の石碑は「東照公遺訓碑」
です。

石碑に架かれている内容は以下の通りで、ともに有名なものです。

「家康公遺言碑」


わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず、億兆の民艱難(かんなん)することもあらんには、たれにても其の任に変らるべし、
天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務をとりたりとも四悔安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより、家康が本意にしていささかも、うらみに思ふことなし
元和2(1616)年4月17日 家康公甍75歳於駿府城

元和2年4月17日は、家康の亡くなった日ですから、遺書みたいにあらかじめ書いたものではなく、本当に最後の言葉だったのでしょう…

訳意は…

私の命はそろそろ尽きてしまうのだが、将軍が、ちゃんとしていれば、私は安心して死ねる。
もし、将軍の政道がその理にかなわず、民衆が苦労していることがあったら、他の人に変わってもらうべきである、たとえ、政権が他家に移ったとしても、民衆が幸せならば、それが私の本意であり、恨みに思うことはない。

「東照公遺訓碑」


人の一生は重荷を負(おい)て遠き道を行くがごとし。
いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望(のぞみ)おこらば困窮(こんきゅう)したる時を思いだすべし。
堪忍(かんにん)は無事長久(ぶじちょうきゅう)の基(もとい)、怒りは敵とおもえ、勝事(かつこと)ばかり知りて、ま(負)くることしらざれば害(がい)其(その)身(み)にいたる。
おのれを責(せめ)て人をせむるな、及ばざるは過(すぎ)たるよりまされり。
慶長8年正月15日

家康が征夷大将軍に命じられたときに遺訓を書いたといわれています。

訳意は…

人の一生は重い荷物を背負って遠い道をゆくようなものである。
急いではならない。
不自由を常と思えば不足もない。
心に望みが起きれば困窮した時を思い出せ。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つことばかり知り、負けることを知らなければ害がその身にいたる。
おのれを責めて人をせめるな。及ばざるは過ぎたるよりまさる。

礎石には万年の亀を置き、碑頭には龍城(岡崎城の井戸に龍が住み、家康生誕の際にも龍が現れたという伝承があり、龍城と呼ばれています)を象徴する龍を配しています。