北海道旅行 四日目(義経・弁慶主従の足跡…)2022年07月24日 06:48

さて、朝一番に絶景を堪能し、立象山公園を下りて海岸線を岩内に向かいます。
岩内はこの先約120㎞、お昼は岩内で“あれ”を食べます、あれです(^_-)
それを楽しみにGo♪

今日は雲の切れ間から太陽の光も差し込むそこそこの日和…シーサイドドライブも気持ちが良いです♪
しばらく走ると、妻が「止まって~♪」と見つけたのがこれ…
「漁師の直売所」「浜の母さん食事処」とある黄色の目立つお店です。
周りにはな~んにも無いところ…
妻が早速偵察に行きましたが、σ(^_^)は車の中でググってました…
あら~なかなか評価の良いところ♪
魚介類を注文したらその場で捌いて調理をしてくれるとか♪
先ほどの立象山公園のバンガローに素泊まりして、ここで遅い朝ご飯というのも良かったかなぁ〜(^_-)と。

進みます…

次に目についたのが…「道の駅 よってけ!島牧」という少し攻撃的な看板…(^.^)
トイレ休憩を兼ねて寄ってみましたが…
今回走っている海沿いの国道229号線は沿線に沢山の道の駅があります。
しかし、どこの道の駅も商売っ気がないというか…田舎ののんびり空気に満ちていますね(^^;
妻は中に入って偵察ですが、私はトイレを利用した後外の景色を眺めていました♪
近くにはまだ雪が残った山が♪
Google mapで調べたらせたな町、島牧村にまたがる標高1,519.9mの「狩場山」という火山だそうです。
この辺りあっちこっちに火山があるんですね…どうりで温泉がどこでも沸いているわけですわ(^.^)

さらに進むと、海に着き出たところに灯台があり手前に広い駐車場と大きな銅像が立っていました。
どうみても弁慶です(^_^)
ここがもともと休憩場所にと思っていた弁慶岬です。
ほぼ300°気持ち良い水平線が広がっています♪

さて、ここが何故弁慶岬と言われるのか…
私が住む北陸にも義経・弁慶に纏わる史跡が数々ありますが、それは実際に奥州に逃れる彼らの足跡でした。
が、ここ道南の日本海側にも彼らに纏わる伝説が数々残っているようです…

この弁慶岬にすくっと立つ弁慶像の背後にその伝説の一部が記されていました…

「文治5年(1189年)奥州衣川で難を逃れた義経主従は南部・津軽を経て渡道し、この地でアイヌの人たちとともに生活し、義経再挙の兵を募って蝦夷地に向かう常陸坊海尊を待った。
滞在中弁慶は毎日岬の先端に立ってその到着を待ちわびたが、ついに軍団の船影を見ることができず大望ある身の永く止まるべきにあらずと、主従を慕う人たちと別れを惜しみつつ雷電を目指して去ったと伝えられる。」

ん~ン…なんでも義経一行は江刺に上陸し、北へ進み、明日行く予定の積丹半島の先にある神威岬から大陸へ渡ったとか…
様々な伝説を残していますね…
この辺りの話はネットにごまんとあるので興味ある方は調べてみてください(^.^)

さて、弁慶像と広い水平線を眺めてから先に進みます…

ほんのしばらく進むと、港町に入ってきました…そこに見えた看板は「道の駅 みなとま~れ寿都(すっつ)」。
道の駅と見たらちょっと寄りたくなりますね(^^ゞ

ここ寿都はやはりニシン漁で賑わった町だそうで、一時期は小樽、積丹と三本の指に入る漁獲高を挙げていたようです。
そのせいか、小さな町にしては立派な漁港が道の駅の後ろに広がっていました。
またそのニシン漁の賑わいを示すものとして、道の駅の横に「にしん街道」と書いた木杭と古い木造船や錨が置いてあり、その歴史を書いた看板も掲げてありました。

この寿都、義経・弁慶が通った時にはまだアイヌの世界であったようで、ここに和人が定着して歴史上に「寿都」の名が挙がるのは1600年代中頃だということです。

さ~て、午前の目的地、岩内まで残すところ40㎞余りです。
おなかも減ってきました…お昼ご飯を楽しみに進みましょう♪

つづく