北海道旅行 三日目(史蹟 松前城)2022年07月19日 05:42

事前の調べでは松前は城を中心に江戸の風情を色濃く残している街で、それ程時間をかけずとも散策できるということでした。
が、予定を1時間以上オーバーしていること、今にも雨が降り出しそうな空模様だったので、松前城に絞って見ることにしました。
天守閣から街の様子や港方面を眺めたかったのです(^_^)

で、やって来ました、松前城です♪
目の前の駐車場まで直ぐに来ることができ、駐車場もがら空きです・・・
ここは松前城の今の入り口に当たる多聞櫓跡と言うところなのですが、鉄筋コンクリート製です・・・
実はこの松前城、戊辰戦争の際、明治元年(1868年)、蝦夷地に上陸し五稜郭を占領した旧幕府軍が土方歳三を指揮官に、彰義隊、陸軍隊、額兵隊、新撰組ら700名で松前攻略軍を編成して松前城を攻撃し、城内白兵戦まで展開した後落城し、城はもちろん街の4分の3も焼失しているのです・・・
明治になり、天守閣は修復・改装し、何とか形を留めていたそうで昭和16年(1941年)には天守、本丸御門、本丸御門東塀が国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されたようです。
が、昭和24年(1949年)国の史跡・松前奉行所跡であった松前町役場の当直室から出火したものが飛び火して、天守と本丸御門東塀を全焼してしまったそうです。
その後、昭和32年(1957年)に「松前城再建期成会」が結成され、復元工事が行われて昭和36年(1961年)完成したそうです。
基本構造は鉄筋コンクリート構造で、外観は消失前の姿をできる限り忠実に再現しているそうです・・・

ん〜ン・・・風情半減ですが、町の皆さんの努力の結晶ですよね。

さて、天守閣に入りましょう・・・入館料は大人360円です。

多聞櫓でチケットを買って入ろうとしたら、いきなり地下通路からです・・・
なので、入館したら直ぐに天守閣が見えないんですよねぇ(^_^;

天守閣は「松前城資料館」となっており、数々の資料が展示されています。
その中にあったのが先に紹介した松前城下を描いた「松前屏風(1751〜1763年)」です。
当時の松前の繁栄がよく分かる屏風です。

そして上がってきました・・・松前城天守閣の最上階です♪
海側の眺望…
先ほど見てきた波止場は橋の向こう側です。
屏風から想像するに、この海に北前船がわんさかと押し寄せていたのでしょうね・・・

そして先ほど入ってきた多聞櫓の方面、松前の街の方向です。
この辺り一帯は松前城址公園となっており、かつての城の史蹟跡や江戸時代の風情が残る建物も数多く残っているようです。
しかし、戊辰戦争で街の3/4が焼失したそうで、街そのものの復旧は大変だったでしょうね。
かつては蝦夷の要として大いに栄えていた街です・・・

天守閣を見学し、帰路は本丸御門をくぐって入口の多聞櫓跡に戻ります。
わくわく感からすれば、逆コースで天守閣を眺めながら左に写っている本丸御門をくぐって中に入ってく方が良いと思うのは私だけでしょうか?(^_^;

さて、先に昭和24年(1949年)の大火で松前城は焼失したといいましたが、この本丸御門は被災せず唯一原型を留めているそうで、国の重要文化財に指定されています。
新しそうに見えるのは、この松山城そのものが幕府の命により江戸末期の安政元年(1854年)に出来た日本における最後期、かつ北海道内で唯一の日本式城郭だからです。
ちなみに、焼失した天守閣は鉄筋コンクリート構造で外観復元されていますが、なんでも2035年を目指して木造による復元計画が立ち上がっているそうです・・・楽しみです。

さて、松前城天守閣の見学を終え外に出てきました・・・時間に余裕があればこの辺りの古き江戸時代の風情を見て歩きたいのですが、14時を過ぎ時間が押しています・・・そろそろ次の目的地江差へ向かいましょう・・・
あ、そうそう、最後になってしまいましたが、先の北前船の波止場でも出てきましたが、「松前」ではなく「福山」という言い方がよく出てきました、福山波止場と言い()書きで松前波止場ですね。
実はこの松前城も正式名称は福山城なんですって。
それは、この波止場や城のあるところが「福山」という地名だからだそうです。
ただ、広島の福山市にある福山城と混同することから、松前藩のお城ということで通称松山城と言うらしいです。

それと・・・一切触れませんでしたが、この地を治めていた松前氏、松前藩の歴史もなかなか面白いのですが、興味がある方はネットでググってみて下さい。
江戸末期から明治に掛けて文明開化の大波に揉まれてる歴史はなかなか波瀾万丈ですね。

つづく・・・