北海道旅行 三日目(松前・北前船) ― 2022年07月18日 06:58
少し遅れましたが13時頃に松前に到着しました。
先ずは腹ごしらえです(^.^)
事前にこの松前での昼食場所を調べておいたのですが、天気もいまいちなので車を止めやすい道沿いの「うみかぜ食堂(北前食堂)」というところにしました。
これが偶然ですが松前に来た一つの目的、北前船繋留所跡のすぐ横だったのです♪
この話は後ほどにして、先ずは昼食です♪
さて…この松前の美味しい物…事前調査では「本マグロ丼」「のりだんだん」とありました。
「のりだんだん」とは岩ノリの丼らしいのですが…
ところが目に飛び込んだのが「ヤリイカ丼」と「ヤリイカ天丼」でした♪
で…チョイスしたのが…
ヤリイカ天丼です♪
大きなヤリイカの天ぷらがてんこ盛りの丼を思う存分堪能しました(^_-)
生のヤリイカ丼も魅力的なのですが・・・
ちなみに、「本マグロ丼」は想像が付くのですが、「のりだんだん」って何でしょうか?
この「うみかぜ食堂(北前食堂)」にもメニューに載っていました♪
岩のりがドカッと乗った「のり段重」ですね!
うわ〜これも美味しそうですが・・・(^_^;
さて、この「うみかぜ食堂(北前食堂)」、どうも「北前船松前」という道の駅だったようで、お店の入り口にはお土産コーナーがありその一角に立派な北前船とその港の荷積みの様子の大きなモデルが置いてありました。
私の住む富山はこの北前船で巨万の富を築いた船問屋が多く、富山市の岩瀬や高岡市の伏木という北前船で栄えた港町があります。
その蝦夷からの富がここ松前からもたらされていたと思うと、感慨深いところがあります。
実はここで偶然なのですが、目の前に見える海に張り出すデッキの先に思わぬ光景が広がっていたのです・・・
天気は良くないのですが、雨が上がっていたので何気なく外のデッキに出てみました・・・するとデッキの一角にこの様なプレートを見つけたのです。
実はこのデッキの目の前が、江戸時代の北前船が着ける波止場だったのです!
いや〜ワイルドですねぇ〜!
波止場といえば今の港の岸壁のイメージしかなかったのですが、当時は自然の岩を利用したものだったのですね。
しかも小さい!!
この波止場の様子が、この後に行く松前城(福山城)の展示の屏風に描かれていました。

岩場の杭に北前船を係留し、小さな木船で荷を裁いていたのですね。
いや〜ワイルドです!!
ちなみにこの屏風の上にこれから行く松前城(福山城)が描かれていますね。
さて、お腹も満足!松前城に行きましょう!
つづく・・・
<追加>
上記屏風ですが、全体像を撮ってこなかったのが悔やまれたので、ネットで検索してみました。
見つかったので追加でupしておきます。
小さな街ですが、当時の松前藩の繁栄ぶりがよく分かりますね。
この屏風は「松前屏風」といい、以下、『文化遺産オンライン Cultural Heritage Online』の紹介文です。
・松前屏風は、高さ1.57メートル、横3.648メートルの6曲半双屏風で、松前に生まれた画家龍園斎小玉貞良によって描かれました。
・宝暦年間(1754~1764)の松前城下の秋を、福山を中心に白神岬から根部田(現在の字館浜)に至る城下町の全景が描かれ、福山館、寺院、商家、港湾、船舶と交易の状況や往時の風俗にいたるまで克明に表現されています。
・この屏風は、小樽内の場所請負人であった近江八幡の恵比寿屋岡田弥三右衛門が松前での出店の繁盛状況を後世に伝えるため描かせたものと考えられます。
・滋賀県近江八幡市の同家から、明治39年(1906)に同市在住者に譲渡されていたものを、昭和51年(1976)に松前町が購入しました。
ここで出てくる恵比寿屋岡田弥三右衛門のことを調べてみると、どうも松前のこの繁栄には大いに近江商人が関わっていたようですね・・・
最近のコメント